2013年04月23日

さあ、問題だ

さ、算数の授業です。
時間のある方、紙と鉛筆をもってきてください。

用意はいいですか?

よし、はじめ!!




問題
用意したみかんを,集まった子どもたちに4個ずつ配ると23個あまり,6個ずつ配るには7個足りません。子どもたちは何人いましたか?



あ、もちろん、xとかyとか文字は使わないでくださいね。
小学5年生の問題ですから(笑)
さぁ、どうぞーーー。











どうです?
できました??

子どもの人数をx人とおいて、
  4x+23=6x-7
とするなら中学生で習う楽勝の問題ですよね。

しかし、xを使うなと言われると、なかなか難しいですよね。
模範解答を見ると、こうかいてあるでしょう。

  6-4=2
  23+7=30
  30÷2=15    答え 15人

「子どもに文字を使って教えてよいですか?」
と、質問されることがあります。

「別にいいですよ」
と、私は答えるようにしています。

ただし、
「方程式しか使えないようには『絶対に』しないでください」
という警告をこめて。


問題に戻りましょう。

用意したみかんを,集まった子どもたちに4個ずつ配ると23個あまり,6個ずつ配るには7個足りません。子どもたちは何人いましたか?

模範解答はこうです。
  6-4=2
  23+7=30
  30÷2=15    答え 15人
模範解答のメッセージ、伝わりますか?

6-4=2
(4個しか配らないのは可愛そうだから、6個に増やしたいんだね。1人あたり新たに2個配りたいんだね。)

23+7=30
(最初は23個余ってたのに最後に7個足りなくなっちゃったってことは、上のようにするためには合計で30個のみかんがあればよかったんだね。)

30÷2=15
(30個のみかんを1人あたり新たに2個ずつ配ろうとしたんだから、割り算で子どもの人数が出るよね?)


模範解答の式には、意味があります。
その意味を、あーでもないこーでもないと四苦八苦しながら考える力は鍛えられます。

文字を置くことの便利さは、時として彼らの成長を止めます。
便利な道具が人間の成長を妨げている例など、世の中に溢れかえっていますよね。
だから敢えて与えない。
そういう姿勢も大事だと思うのです。

4x+23=6x-7
実は方程式でも同じ計算をしますよね。
6x-4x=23+7
2x=30
x=15
結局(23+7)÷(6-4)をするわけです。

解き方は同じですが、明らかに解法から伝わるメッセージが違う。
文字の便利さは、解答から発せられるメッセージを弱める恐れも含んでいるのです。


「子どもがいきなり図をかき出して、子どもが何人でみかんが何個か予想しようとしているんですけど・・・」

そうです。それでいいんです。
小手先の方程式なんかで答えを出すことなんて、近い将来ほとんどの人が出来るようになるんです。
それよりも、自分の手で何とかしようとする姿勢の方が遥かに素晴らしい。
予想が当たればそれはそれで素晴らしいし、外れてもその経験は糧になる。
もちろん、どちらの場合でも予想だけの解法では不十分なので、しっかりとした解法も勉強すればいい。

算数が何であるんだろうと考えると、そんな発想になってしまうんです。

算数で子どもに与える問題なんて、必ず既に答えが出ている問題です。
ではなぜ、既に答えが出ている問題を子どもに与えるのか。

子どもがちゃんと出来るかチェックするため?
いいえ、違います。

子どもが将来、答えが出ない問題にぶち当たったとき、粘り強く考え抜き、勇気を持って行動できるようにするためです。
少なくとも私はそう思っています。

だから、簡単に誰かに答えを求めちゃいけない。
簡単に「そのやり方じゃダメだよー」と馬鹿にしてはいけない。
そう思うのです。


自分で一生懸命考えた上で分からなければ、解説をじっくり読めばいい。
解説をじっくり読んでも分からなければ、親や先生に質問すればいい。

そんなことを小学生のうちからやっていれば、将来社会に出たときにも役立つと思うんです。


「ヒントだそうかー?」

今日は4年生の授業でこんなことを言いました。
どうにもこうにも手がつかない問題があったようです。

「やだ。言わないで。」

すぐに返ってきたのはそんな答えでした。
うんうん。それでいいよ。
その気持ちがあれば、大丈夫。

例題を調べて、解き方を確認していました。
一歩前進です。

勉強を通じて、生き方を学んでくれればなと思っています。
精一杯頑張っている生徒は、輝いて見えます。
彼らのこれからの人生も、それぞれに輝きますように・・・。

西野(智)でした。
posted by 東セミ四谷 at 23:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

姿勢作り

「先生って、○○ちゃんには優しいよね」

なんてこと、たまに言われます。

「だって俺らばっかし怒られる・・」

なるほど。
そうきますか・・・。

長く教えていると、こういうケース、多いです。
毎週いつも当たり前のように来て、宿題をしてくるのも当たり前で、授業を真剣に聞くのも当たり前。
たまに宿題が不完全であったり、授業中に集中し切れていなかったりすると、そこばかりが目につく。
気づけば子どもを認めることを忘れ、欠点ばかりを指摘してしまう。
こんなこと、本当によくあります。

叱ること自体は必要なことです。
子どもの顔色ばかり伺っていては、指導などできません。
しかし、なぜ叱らなければいけない状況になったのかを考えれば、少し自分の言動・行動も反省することができます。
また、幸いにも毎日顔を合わすわけではないので、「次はこうしよう!」と切り替えることもできます。
塾の先生として、そんな風に毎日を過ごしています。

毎日一緒に過ごしているお父様・お母様だったら、さぞ大変なことなんでしょうね。
親のありがたみなんて、幼い彼らはどのくらい分かっているのか・・・。
我々も、しっかり伝えて行きますね。
お父さんお母さん、いつもありがとうございます。

甘やかさずに、ガミガミ怒らずに、子どもに学ぶ姿勢をつくるためにはどうしたらよいのでしょうか?
そんなことを思って過ごしていると、ふとある作家の言葉に出会いました。

※以下、作家スーザン・ジェファーズさんの言葉
達成感や満足感は完璧を目指して得られるものでない。
完璧でない自分を認められながら、一歩一歩を歩み続けることによって、
得られるものだ。

たえまない競争は、私たちを不安に陥れる。そして気持ちをすり減らしてしまうもの。
自分なりの意味と目的を理解し、納得して行動すれば、
自分をより高めることができる。
自分なりの意味と目的によって行動するときこそ、私たちはすばらしい結果を手にすることができるのです。


なるほどなーって思わされました。
完璧な人間なんていないですし、そうある必要もない。
競争によって高めることは必要。その競争に自分なりの意味と目的を持ち、納得しているか。
うん、何かヒントが見えた気がします。

お父さんお母さんも、決していつもどこでも完璧であろうなんて思わないでくださいね。
もうじゅうぶん、素敵なところを持っているんです。
その上で、自分なりの意味と目的を理解して、納得して、もっといいお父さんお母さんになれるように努力している方は、本当に輝いて見えます。

子どもたちにもそうあって欲しいし、自分もそうありたいと願った1日でございました。
さ、明日も頑張るか。

西野(智)でした。
posted by 東セミ四谷 at 23:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

大人の仕事

「子どもたちはこうして 生き方を学びます」

けなされて育つと,子どもは,人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと子どもは,乱暴になる
不安な気持ちで育てると,子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると,子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると,子どもは,「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば,子どもは,自信を持つようになる
広い心で接すれば,キレる子にはならない
誉めてあげれば,子どもは,明るい子に育つ

愛してあげれば,子どもは,人を愛することを学ぶ
認めてあげれば,子どもは,自分が好きになる
見つめてあげれば,子どもは,頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば,子どもは,思いやりを学ぶ
親が正直であれば,子どもは,正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば,子どもは,正義感のある子に育つ
やさしく,思いやりを持って育てれば,子どもは,やさしい子に育つ
守ってあげれば,子どもは,強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば,子どもは,この世の中は良いところだと思えるようになる

※アメリカインディアンの教え
ドロシー・ロー・ノルト「Children Learn What They Live」/子どもたちはこうして生き方を学ぶ
1990年日本で「アメリカインディアンの教え」として出版


昨日、東セミグループに1人の新入生がやってきました。
小学5年生。
大きな希望と自信を秘めたキラキラした目が印象的な生徒でした。
初めて訪れた塾に戸惑いも見せず、積極的に発言をし、問題に取り組むときは一言も言葉を発さずに夢中になって真剣に取り組む。
「すごいな。」
率直に、そう感じました。
今まで歩んできたであろう「道」を、まだ幼き少年の姿から感じ取ることができました。

授業が終わったあと、お父様とお母様にお会いすることができました。
ご挨拶をし、今後の学習について色々とお話をしましたが、すごく印象的だったことがあります。
それは、父親の子どもに語りかける言葉の温かさ、差し伸べる手の温もり。
母親の愛情に満ちた表情。子どもへの尊敬の眼差し。

「この子が一番成長したと思うのは、成績が下がったときに一生懸命頑張ったとき。
あのときから、積極的に質問もするようになったし、大きく成長したと思っています。」
お父様はそうおっしゃり、子どもの頭にポンと手をのせました。

子どもは少しはにかみながらも、有能感に満ち溢れた表情を私に見せてくれました。

「前に通っていた先生が、『もっと自習室を使って質問に来いよ』って言ってくれたから、頑張れました。」
そう言って、過去に出会った先生たちへの感謝の気持ちを語ってくれました。


「うちの子なんて・・・」
謙虚が美徳であるとされる日本人の気質なのでしょう。
そう言ってしまうことも多いことでしょう。
しかし、その言葉を直接聞かされ続けた子どもは、
「僕(私)なんて・・・」
と思ってしまいます。

「褒められ続けて、有頂天になってもらっても困る」
その気持ちも分かります。

しかし、子ども、とりわけ小学生を教え続けてきて確信めいてきたことは
「褒められ、認められ、愛情を注がれ続けてきた子ほど、謙虚になれる」
ということ。
有頂天になったり、自分の力を過分にひけらかしたり、他人をけなしたりするのは、認められる機会に飢えているからなんです。
だからこそ、褒めて、認めて、愛情を注いで、子どもに接して欲しいと強く願います。
もちろん我々も、生徒に対してそうありたいと思っています。

もちろん、厳しいことも言わなければいけないときもあります。
しかし、認められて育った子どもは、そういうときも必ず受け止めてくれます。
たとえ時間がかかったとしても。


「うちの旦那のいいところは〜〜なところよ。」
「うちの奥さんは〜〜なところが素敵だ。」

大人だって、そんな風に直接言われたら嬉しいじゃないですか(笑)
頑張ろうって思えますよね。

「うちの子のいいところは〜〜なところです。」

堂々と、子どもに聞こえる距離で、話していきましょうよ。
絶対に、傲慢な子にも卑屈な子にも育ちません。
きっと、自信に満ち溢れ、一生懸命に頑張れる子に育っていくことでしょう。

そんな風に堂々と言ってくれる親、素敵だと思います。
私も照れくさいですが、そんな先生になりたいと思っています。

素晴らしい出会いに感謝します。
ますますこれから頑張っていこうと決意した1日でした。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

西野(智)でした。
posted by 東セミ四谷 at 12:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする