2013年02月25日

大人の役割

西野です。
新年度がスタートし、2週間が経ちました。
毎回そうですが、新年度は「再スタート」の意味合いが強い。
いろいろありますが、例えば宿題。
急に量を増やしたわけではありませんが、チェックは少しうるさくしています。
やはり意識していないことには、悪い「慣れ」が生じるものです。

「やり直しまではしなくてもいいかな。」
とか、
「○つけは間違ったところだけでいいかな。」
とか、
酷い場合は
「今回はやりなくないな」
とか。

よほどしっかりした生徒でないと、この「怠けライン」はどんどん進行していきます。
ここは大人も強く意識しておかなければいけません。
知らず知らずのうちに、
「最近忙しかったから、今回はこれでいいか」
とか、
「いつも頑張っているし、このくらいはいいか」
とか、
大人が「怠けライン」を容認しているケースは非常に多いです。
先生の中でも、いわゆる「甘い」先生はこのラインをすぐに動かします。
そういう先生の下で育つ生徒は、不幸といわざるを得ません。
多くの生徒は、大人の顔色を伺って、ラインを動かそうとします。
ラインが動けば、次はどうやってラインを動かそうかと創意工夫をし始めます。
工夫をしなきゃいけないのは、そんなところではないはずなのに。

大人は毅然とした態度で子どもに接するべきです。

・「ここは絶対」という「ライン」をはっきり明示する。
テストで○○点以上取る、といった結果目標ではなく、○時までに宿題を終わらせる、などの、本人の努力次第で叶えられるラインが必要です。

・怠惰による「ライン」未達に対し、叱るだけでなく、許して向き合う
できなかったのは既に過去。できるようにすること、できるようになろうと思うようにすることが遥かに大事です。
叱ることは必要ですが、間違っても「もうあなたなんか知らないわよ!」などと、感情をぶつけるだけの怒りは逆効果です。


先日の授業では、宿題の状況があまりよくなかった生徒にもう1回ラインを明示しておきました。
その生徒の宿題をチェックしているとき、私の表情は自然と寂しそうな顔になっていたのでしょう。
バツが悪くなったその生徒は、長々と「なぜ宿題が最後まで終わらなかったか」を話し始めました。
こういうとき、私は何も話さないことが多いようです。
無言の視線でメッセージを送ります。

ちゃんとその生徒も、メッセージを受け取ってくれました。
「すみませんでした。来週必ずやってきます。」
「あと、今日の分も一緒に出していいですか。」

こうなれば、私はもう許すだけです。
あと来週の授業でちゃんと宿題ができていれば、労ってあげることだけです。

宿題をやってこない生徒がいると、先生は悲しいんですよね。
親の言うことを聞かない子どもが家にいると、おそらく親も悲しいでしょうね。
最近の子どもの指導をしてつくづく思うのは、
「怒りつけてもダメ、『悲しい』『嬉しい』の感情を伝えることの方が大事」
ということです。

おうちの方にお願いです。
子どもがなかなか勉強に身が入っていないとき、
「ちゃんとやらないとお前のためにならんぞ!」
よりも、
「ちゃんとやってないなー、これが続くのは少し悲しいな・・・」
なんていうメッセージを発信してください。

また、子どもが頑張ったときは、精一杯「嬉しい」を伝えてください。
照れないでくださいね。
ちゃんと子どもにも、
「一生懸命頑張ることが、誰かを幸せにすることができるんだ」
という価値観を持たせてあげてください。
これは、周りの大人の使命だと思うのです。


さ、私は私で、今週も楽しく授業ができるといいな。

今週の1番の授業準備は、「2週分の宿題を完成させてきた生徒と、どうやって喜びを分かち合うか」の、西野でした。
posted by 東セミ四谷 at 09:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月21日

水溶液

西野です。
今日は6年生の理科・社会のクラス授業の日。
本日の授業は私も理科を担当しました。

学習した内容は、
「水溶液」
でございました。

1階のカウンターで授業の準備をしていた際に、中3生が通りかかりました。

「あ、先生、これ夏合宿でやった内容やね!?」

そうなんです。
四谷大塚の予習シリーズでは、中学校で習う内容もたくさん出てくるのです。

「そうやー。今日の6年生の授業でやるげん♪」

中3生は驚いていました。

「あんなに苦労した単元なのに・・・小学生がやるの??」

はい、その通りです。
しかし、ちょっと感覚が違いますかね。

「中学校に入る前にやるから、大きな苦労はしないだろうね」

の方が感覚としては近いでしょうか。


例えば、今から全く知らない国の全く知らない単語を20個覚えようとしたならば、
おそらく若ければ若い人ほど早く覚えることができるでしょう。
私なんて、小学生の足元にも及ばないことでしょう。
それだけ、若い脳は力を秘めています。
吸収力が違います。

実際、今日の授業は中3生に向けて夏の合宿で行った授業とほとんど同じです。
そして、むしろ小学生の方が素早く適応していました。

適応の速さだけに特化すれば、小学生は中高生に比べて遥かに優れていることでしょう。
また、小学生の頃に培った学習の礎は、大人になっても朽ち果てることはありません。

小学生だからこそ、高いハードルで遊んで欲しいものです。

今日の単元は「水溶液」。
宿題の予習で皆苦しんできたようでした。
授業中にみるみるうちに理解が深まっていく彼らの表情に、大きな元気をもらった1日でした。

さ、明日も頑張りましょうかね。
西野でした。
posted by 東セミ四谷 at 22:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

初心忘るべからず

西野です。
先週のウォーミングアップ授業を終え、いよいよ本日より新年度カリキュラムがスタートしました。
真新しいテキストを大事に開きながら、生徒達はとても頑張っています。
ものごとは、やはり最初が肝腎です。

「初心忘るべからず」

とはよく言ったもので、まさにそんな姿勢を大事にしたいと思っていますし、そうあって欲しいとも思っています。

「初心忘るべからず」

「物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない。」
そんなところでしょうか。

しかし、こんな見解もあるようです。

「初心者の頃のみっともなさ、未熟さを折にふれて思い出すことにより、『あのみじめな状態には戻りたくない』と思うことでさらに精進できる。」

私は前者の使い方しか知りませんが、後者のように使う方が正しいとする説も多いようですね。
この言葉を最初に使ったのは能の大成者である「世阿弥」だそうです。
彼が発した言葉であることは間違いなさそうですが、彼がどんな思いで、何を戒めようとしてこの言葉を発したのかは想像の域を出ません。

言葉の真意は、使う人によって違いますし、使う時によってやはり違います。
当然、使う相手によっても違ってくるでしょう。

「皆の心に誇りを宿すこと」

こんなことがしたいという初心で以って、仕事を始めました。
仕事を始めたすぐは、それはそれは授業も下手くそでしたし、知識も何もありませんでした。
まさに未熟者でした。
しかし、精一杯の努力を続けてきた過去の自分を、「みじめだった」とはとても言えません。
「あの未熟な頃には戻りたくない」
なんて思ったところで、どうせあの頃には戻りません。

「皆の心に誇りを宿すこと」

今までその気持ちで教壇に立ってきましたし、これからもそれも変わらないでしょう。
生徒達が、誇り高く、自修自得の精神を育めるよう、少しだけお手伝いさせてください。
私も、生徒も、まだまだ慢心するほど熟してはいません。
未熟者同志、初心を忘れずに、決して色あせることなく頑張っていこうと思います。


さて、今週の土曜日に、今年度最初の週テストが実施されます。
大切な「初心」を、忘れずに持ってきてください。

一生未熟者の、西野でした
posted by 東セミ四谷 at 23:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする